お医者さんは選ぼう 2

自分がパニック障害だと思い、初めて受診したのは、個人病院の心療内科だった。まず、心理士さんらしき男性に色々聞かれ、それから先生とご対面。
仏頂面で、笑顔もなく、「広場恐怖」ですね。というと、パキシルを処方され、すぐに終わった。
この、パキシルが合わなかった。頭痛、吐き気と、より悪くなった。もう15年ほど前の話なので、スマホすらなく、自分で調べるには本を読むしかなかった。2日間頑張ったが、どう考えてもより具合が悪いので、飲むのを止めて、病院にも行かなかった。
このときの印象があまりにも悪かったので、2年間は病院にいかず、ただただ耐える日々だった。
これが一人目のお医者さんである。

お医者さんは選ぼう

皆さんは、初めて行った心療内科や、精神科にずっと通っていますか?やむなく変えた事もあるかもしれませんが、私は患者には医者を選ぶ権利があると思っています。

私の場合、4ヶ所目です。そこでようやく、安心して通えるように、そして、信頼出来るお医者さんに出会えました。お医者さんも人間です。いろんな人がいます。結論から言うと、私は個人病院は止めた方がいいと思っています。入院施設があり、五人ほどの医者がいる中型病院をお薦めします。その理由と、これまで私が出会ったお医者さんの紹介を次回からしていこうと思います。

自分で勉強しよう

あなたは、自分の病気や、薬を調べていますか?
お医者さんが出してくれた薬をただ飲んでいませんか?
なかなか病気がよくならず、周りに責められる事で、私は病気と戦う決意をしました。戦う為には敵の情報が必要です。今は、スマホがあるので簡単に情報は集められます。
まずは、病気について人に説明出来る位は理解する事。
次に薬について、飲んでる薬以外も調べる事。
この二つが重要です。例えば、私はほとんど全ての抗うつ剤を試しました。
飲まなければ、どれが自分に合ってるのか分かりません。自分で調べて、ロナセンという薬を処方してもらい、強迫神経症の苦しみが半分になりました。本を読んで、自分がADHDだと分かりました。お医者さんは気づいていませんでした。
確かにお医者さんの言うとおりにすることは大事です。が、お医者さんは24H診てくれません。話を聞いたことに対処するだけです。
自分の病気を一番理解できるのは自分です。病気と戦う為に勉強しましょう。何か新しい発見があるかもしれません。

ADHD

学校を卒業して、社会に出て以来、いくつか転職をしたが、学生生活では楽に楽しく生きてこられたのに、社会では、ずっと生きづらさを感じていた。10年以上、パニック障害や、強迫神経症うつ病だと思い、それらの勉強、対策をずっとしてきたが、ここ2~3年前に、ある本がどうしても気になった。大人のADHDである。どうも、本で診断してみても、当てはまる事が多い。
病院の先生に相談してストラテラを出してもらった。
効果はすぐに出た。今まで順番通りに一つずつしかこなせなかった仕事が、優先順位を考え、平行に行えるようになった。そして、生きるのが少し楽になった。
そうか、誰も、親でさえ、気づかなかったけど、私はADHDだったんだ。納得したら、気が楽になった。これで精神障害の名前は全て出そろった。しかも、大元がADHDなので、薬で、他の精神障害の症状も落ち着いてきた。
長いことなかなか治らない、パニック障害や、強迫神経症うつ病の方へ。
あなたにはADHDが隠れてませんか?
一度本を見るなりして調べて見て下さい。ある統計ではクラスの3人~4人はADHDの疑いがあるそうです。

うつ病の苦しみ

一言にうつ病と言っても、人によってかなり違うものである。軽い、重いもあるし、昔からの大うつ病から、新型うつ病もある。
私の場合はと言うと、新型うつ病の、軽~中程度だったし、今もやる気がほとんど出ないので、軽程度のうつ病である。
一番ひどかったときは、朝が起きられない。とにかく起きれない。仕事に行こうとすると、まるで体が石になったような、あるいは、体とベッドが磁石でくっついている感じである。
私の場合、妻の両親の会社で働いているので、当時は、朝、起きれないと電話すると、義父が飛んできて、ベッドサイドで、怒鳴る、馬鹿にする、ふざけた事をするな!と、とにかくあらかた言って、帰って行く。そのうち、無理やり連行されるようになって、どんどん鬱が辛くなった。どんなに説明しても理解されなかった。
そのうち、二年ほどして、薬が合ってきて、起きれるようになった。
今も、妻の両親の会社で働いているが、この時の、妻と義父、義母のことは一生許す気はない。ただ、子供達のために働いているだけである。
それほど、うつ病は理解されない。自分や自分の可愛い子供がかかった時、初めて理解しようとするだろう。
特に今の若い人達はある程度理解がある。周りに結構いるせいだろう。ただ、団塊の世代は理解力がない。努力や精神で乗り切れ、となる。
10年後にもっと人々が温かい目でうつ病患者を理解しようとしてくれる、そんな社会が来ることを願う。

強迫神経症の苦しみ

私が初めて強迫神経症になったのは、パニック障害が起きて、暫くしてからでした。昔から持ち物の軽いチェックはしていたのですが、親も、他人も、本人も、クセ位しか考えてませんでしたし、別に困ったこともありませんでした。
しかし、今回はそんなものでは済みません。窓は閉まってるか、ガスは止まってるか、ドアの鍵はかかってるか、何度確認して、ドアを引っ張っても、終わりが見れない。よく、悪魔が囁くと表現されますが、まさにそんな感じ。儀式のようなもので、途中で止めたら、最初からやり直したり、時間がなくて、2~3回位で行こうとすると、悪魔が、囁きから、叫び声位まで襲ってくる。脳みそがカァーッとのぼせたようになり、結局家に戻り、安心するまでやり直し。なんて理不尽な行動で、意味のない事だと、分かっている。分かっているのに止められない。
これには、十年以上苦しんだ。身も心も限界だった‥。職場でも確認しに戻るため、仕事が遅いと、同僚から苦情が多かった。妻は、興味を持たず、無視し始めた。いろんなものが壊れた。それが私にとっての強迫神経症というものだったのだ。

パニック障害の苦しみ

これを見ているあなたは、同じパニック障害の方でしょうか?それとも、健常な家族の方でしょうか?
パニック障害の方はお分かりでしょうが、パニック発作が起きたときの状態は、味わった方にしか理解できないであろう苦しみです。言葉で伝えるのは、非常に難しい。
もし、簡単に例えるなら、今、普通の状態から酸素を急に抜き取られ、五分ほど、のたうち回って苦しんでいる、そんな感じでしょうか。
私が初めて起きたときは、特急電車の中でした。呼吸がどんどん辛くなり、頭の血がカァーッとのぼせて、吐きそう。今すぐ緊急停止ボタンを押したいのを必死でこらえ、電車が開くないなや、朦朧とした意識でベンチに倒れ込んだものです。その間、5~10分だと思いますが、一時間にも感じるような苦しみでした。
現在は薬のおかげで、パニック発作は暫く起きてません。そのかわり、環境は変化しました。都会を離れ、田舎に住み、車に乗るので、電車にはほとんど乗ってません。バスも10年以上乗ってません。逃げられないような閉じこめられた環境はできるだけ避け、どうしても必要なら、前もって頓服薬を飲みます。逃げ出したと言われるかもしれませんが、死ぬほどの苦しみを何度も味わう位なら、思い切って逃げました。
それだけの苦しみ、それがパニック障害です。